1ヶ月後に死ぬとしたらどこにいくか?

過去にオードリーのお二人がラジオで話していたテーマ。

今回はこのことについて考えてみた。

「心身ともに健康で、自分だけが1ヶ月後に死ぬことを知っている」という条件で考えてみる。

 

まず、オードリーのお二人がラジオで話していたように「海外に行く」という選択肢は、僕にもない。

自分が全然知らないところに行きたいっていう感じにはならなさそう。

日本国内で自分が落ち着ける場所に行きたい。

 

だけどその前に、実家に帰って1週間ぐらい過ごす。

最初の1週間は家族と過ごす。

ただ、1ヶ月後に死ぬことは言わない。

普段通り過ごしたいからだ。

 

もし、1ヶ月後に死ぬことを話すとなると、僕への対応が普段とは違ったものになるだろう。

死ぬことを知った上で「普段通り接してあげよう」と思うかもしれないが、そうは思わないかもしれない。

だから、多分1ヶ月後に死ぬことは言わないと思う。

 

そんな感じで最初の1週間は実家に帰って、家族と過ごす。

ただ、1週間以上いると離れられなくなりそうなので、1週間以上は過ごさない。

1週間以上過ごすとなると、明らかに普段の帰省とは違うので「何かあったんじゃないか?」と思われるかもしれない。

そうなると、普段とは違う対応になってしまうので、そこを悟られないためにも1週間以上はいないだろう。

 

そして、もし仮に結婚してたら、妻と(子供がいたら子供と)残りの3週間を過ごす。

子供が小さかったら、子供には1ヶ月後に死ぬことは言えないと思う。

でも、妻にはきっと言ってしまうだろう。

まだ結婚する相手もいないのに、こんな想像するのもおかしいが、きっと言ってしまう。

結婚するとしたら、自分の弱みを見せられる人とすると思う。

だから、きっと言ってしまう。

言った上で残りの3週間を一緒に過ごす。

 

そして、もし結婚してない場合、つまり独身の今の状況だったらどうだろう?

いろいろ考えられるが、ウクレレを持って、猫がいる島に行きたいと思う。

猫がいる島は江ノ島や青島など色々あるが、沖縄の久高島か竹富島に行きたい。

 

「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組で、岩合さんが久高島に行ってるのを見て、いつか久高島に行きたいと思っていたからだ。

暖かいところに行って、そこでのんびり暮らす人たちと猫を見てみたい。

竹富島も久高島同様に、暖かくて猫がいるらしいので、時間に余裕があったら(ない)竹富島にも行きたい。

 

そして、そこでウクレレで何か弾く。

カイマナヒラやクレイジーGのようないかにもウクレレっぽい曲を弾くかもしれないし、感傷的になって美空ひばりさんの「川の流れのように」を弾くかもしれない。

その時にパッと思い浮かんだ曲を弾いてみる。

 

長くても2週間ぐらい過ごしたら、北海道に帰りたくなってると思う。

なので、最後の1週間は北海道で過ごす。

札幌の街を中心にひたすら巡る。

中島公園、円山公園、藻岩山、創成川などの綺麗な自然を見まくる。

 

そして、最後の1日は、札幌の中でも1番好きと言っても過言ではない大通公園で過ごす。

噴水の近くのベンチで過ごす。

テレビ塔の時計を見ながら過ごす。

特に何かをすることなく、ただぼんやりと過ごし、そこで一生を終える。

 

今、パッと考えたところだとこんな感じ。

実際にこのような状況になってから考えればいいことで、今これを考える意味は全くない。

でも、こういう意味はないけど、議論の余地があることを考えるのが好きなので考えてみた。

 

ここまで割と現実的に考えてみて、まだ死にたくないと思った。

あと、結婚して家族がいる場合とそうでない場合の両方を考えてみて、家族を持ちたいと思った。

そして、なぜかずっと忘れてた久高島のことを思い出した。

まだまだやり残してることだらけだ。

そのことを改めて自覚できてよかった。

考える意味は全くないと思っていたけど、ちょっとはあった。

今を生きるぞ。

押忍。